ケアルも一緒に泊まれるので温泉にきました。とりあえずふやけてきます。北海道伊達市大

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ケアルも一緒に泊まれるので温泉にきました。とりあえずふやけてきます。北海道伊達市大滝区北湯沢温泉ホロホロ山荘ペットも一緒に泊まれる温泉がんばろう北海道ミニチュアシュナウザーしゅなすたぐらむ

SuguruSatoさん()がシェアした投稿-2018年Sep月21日pm10時23分PDT

丸栄

丸栄名古屋の丸栄百貨店の閉店を特集した番組を、ちらちらみながら朝ごはんを作る。商店が、デパートになって60年数年。昭和の強気な右肩上がりの経済にのって成長したが、平成後半の時代の変化は、ずいぶんしんどかったはず。代表的近代建築として取り壊しを阻止した建物はどうなるんだろう。

都会を離れた頃の絵 - おっさんひとり犬いっぴき

 若い頃、大阪で10年、東京で10年暮らした。どちらも路地裏にある風呂もない安アパートで、平日には仕事場、休日には劇場や映画館で過ごし、太陽の存在も、この世に海や山があることも、湖や森があることも忘れていた。自然に触れていることを感じるのは、電車の窓から見える空くらいなものだった。ある時、郊外へ電車で出かけると、そこには久しぶりに見る畑が広がっていて、土を踏む感触が久しぶりだったことに我ながらビックリした。今までの生活は何だったんだろうと、少しばかり気味が悪くなった。ニュースでは東京で殺虫剤が売れなくなったと言っていた。徹底的に清潔にしたこと、家の気密性が高くなったことで、家の中に虫が入って来ることが少なくなったかららしい。

 東京を脱出し、漠然と憧れたのが、河岸や浜辺で昼寝をすることだった。周囲に人影のない広々とした場所で、誰に遠慮するわけでもなく、大地に横になる。都会では考えられない贅沢な振る舞いだ。

 そんな頃、試行錯誤をしながらパソコンを使って絵を描き始めた。パソコンの前に座って描くため、最初のうちは想像の世界を描くのに精一杯だった。パソコンの中の絵のフォルダには、現在数百のデータが入っているが、その最初の001番の絵が、これだ。

 今回、そんな001番の絵を、新たに描き直すことにした。上の絵が下の絵に変化するのに、17年かかったことになる。

 小さくて見えないだろうが、川にはウキが浮かんでいる。ボートは構図と色のバランスを取るため、新たに描き加えた。

ミニカー入手のリサイクルショップ巡り - ミニカーコレクション多種多彩見聞録

ミニカー入手のリサイクルショップ巡りなんですが。仕事柄非番の日が平日なのでその平日の休みを利用しリサイクルショップを何軒が巡って掘り出し物や絶版品のミニカーを捜索し探し出してはコレクションしています。ミニカー入手に当たりハズレの日も過去に幾度となくありますが、それでも当たりの日には思いもよらないミニカーの絶版品や掘り出し物を発見する時があるのでリサイクルショップ巡りはやめられないですね。こうして私のミニカーのコレクション収集をしてきた次第です。地道に時間をかけてじっくりコレクションを現在は増やしております。?

インフルエンザの原因をウィルスと断定したのは日本人。今の基準ならノーベル賞ものだが。

 20日の「日本人のおなまえっ!」は個人の名前ではなく病気の名前とくに「風」が付いている病気についてだった。カゼをひく」の「カゼ」は漢字で書くと「風邪」だが、この邪(よこしま)な「風」はいろいろな病気をもたらすとされていた。

 1つの例は「中風」だ。この場合の「中」は「あたる」の意味で「中風」は悪い風に当たり起きた原因不明の病気、とくに現在では「脳卒中」の後遺症として現れる半身不随などを指した。

 また不定期に大流行する風邪今はインフルエンザというが、それが流行った時期に流行していたあるいは人気のある役者、出来事から名前がついた。「お駒風」とか「お七風」と呼ばれた事もある。おもしろいのは江戸時代の大横綱「谷風」だ。彼は「土俵の上でワシを倒すことはできない。倒れているところを見たいなら、風邪にかかった時に来い」と豪語したと言われるが、実際にインフルエンザにかかって亡くなった。その時の風邪は「谷風」と呼ばれた。

 ところでインフルエンザの原因をウィルスと断定したのは日本人だという。原因をめぐっては「細菌説」と「ウィルス説」が争っていた。「ウィルス」と断定したのは日本人医師だが、なぜか知られていなかった。最近になってエボラ出血熱のウィルスの分離に成功した知名なウィルス学者マーフィーから2010年にある日本人研究者の元に1918年のスペイン風邪の際に「ウィルス」を発見したという報告がいくつかあるがその中でも最も優れた論文は、Yamanouchiの書いたものでその人物について知りたいというメールが届いたという。

 さっそく調査を始めたがこの人物はなかなか特定できなかった。伝染病研究所所属だろうと見当を付けたが見つからない。すると医学博士山内保による「我医学界所見」という6回にわたる連載記事が見つかり、その1回目に読売新聞に経歴が示されていたことがわかった。そこには山内博士の新発見としてスペイン風邪すなわちインフルエンザは「細菌」ではないとしてそれを医学専門誌「Lancet」紙に発表したとある。

 その後の研究でも「ウィルス」が原因であることは確定している。これはスゴイ発見だ。「細菌説」と「ウィルス説」の論争に終止符を打ったのだ。今の基準ならノーベル医学賞受賞に相当するだろう。同じような研究をしていた学者と同時受賞もあり得ただろう。しかしなぜかそうはならなかった、その理由は分からない。

 本来なら日本人が受賞してもおかしくない研究はこれに限らない。北里柴三郎も第1回ノーベル医学生理学賞でおかしくなかったし、黄熱病「ウィルス」の発見者野口英世もそうだ。日本人のノーベル賞は戦後に始まったものではないことは誇りに持って良いことだ。

 なお番組に出ていた医師の西川史子氏もこの山内保氏のことは知らなかったという。我々はもっと日本人の活躍を知っても良いのではないだろうか。

 またインフルエンザをある書物では「印仏魯英撒」と表現していた。インド、フランス、ロシア、イギリスでこの病気がまき散らされているという感じが良く出ていておもしろい。いわゆる「パンデミック」というものだ。